天気はいいんだけど寒いですね。
12月の寒さなんてまだまだ。なんて言って海行ってたころが懐かしい思い出です。
歳とって外遊びが出来なくなったら、じっくり読んでみようと岩波書店の漱石全集を買い集めていました。
すべてAmazonで購入したので購入履歴を調べてみると、今から18年前の2004年12月、私が48歳の時から買い始めたことがわかりました。
一冊4000円以上する本なので数ヶ月ごとに2冊ずつ購入していました。随筆とか往復書簡などをまとめた巻は、興味なかったので全集の全シリーズは揃っていません。
ところで、なぜ老後の読書に夏目漱石を選んだのか。
18年前の決断はよく覚えていません。漱石は高校から大学にかけて文庫本をよく読んでいました。坊ちゃん、吾輩は猫である、虞美人草、こころ、それからなどなど。一人の作家のものとして読んだのは一番多かったかもしれません。
そんなに難解な文章や気が滅入るような展開でもなかったし、明治時代の格調の高さを感じてたかな。登場人物の振る舞いに品のよさを感じていました。
ただ、当時は文章を読んでストーリーを追いかけていただけだったかな。とにかく読んだからね。と足跡を残したに過ぎなかったような気がします。
だから読後の感想って特に覚えていません。何かしらは思ったのでしょうけど。自分のその後の思考に大きく影響したということもなかったような。
小説の中の人々のかかわり方や会話を楽しく読んだ記憶はあります。太宰治なんかとは違って気軽に読めたかな。
18年前に、歳取ったら読み返してみようと考えたけど、その歳を取った今となっても読みたいのかどうか考えてみることにしました。
結論から言うと、とても読みたくてワクワクしています。ただし、学生の頃とは違った読み方をしてみようと考えています。
なぜ老後に読み返そうと考えたのか。今更考えてみました。
第一に、ゆったりした気分で読めるからでしょう。
明治の時代の品を感じる人々の振る舞いや会話に、のんびりそして優雅に関われそうな気がしたからです。それは学生の頃に読んだ記憶からくるものでしょう。
第二に、各作品ごとの解説本が多いのです。
ただ足跡を残して読んだからねということではなく、一つの作品をじっくり味わい深く読んでみたいのです。
例えば「吾輩は猫である」って、なんで猫の目視点なのか。文字の裏側に何かのたくらみがあるのでしょうか。場合によっては、当時の歴史や思想状況などの時代背景が関係してくるのかもしれません。
「こころ」はどう読むのか。漱石はどう読むのか。あの思想家である吉本隆明氏までそんな本を出しています。
自分の頭ではかなわない読解力を借りながら、なんで猫の目視点なのかわかるかもしれません。
じっくり時間を掛けながら。まあ、時間をぜいたくに使いながらとでもいうのでしょうか。小説の新しい楽しみ方を見つけてみようかな。
老後の読書として、もう一つ選んだのが「ファーブル昆虫記」です。なぜこれを選んだのか。子供の頃と違って、どんな楽しい読み方をするかは、現在検討中です。まとまったら文章にまとめてブログにでも書くことにします。
では。。。