走って、走って、ときどき海遊び

ラスコです。人生3分の2を終え残りは、ジョギングで走って、自転車で走って、ときどき釣りとウインドサーフィン.....

日)26年続く夏の思い出も終わりにしよう

今週のお題「夏の思い出」

今週のお題「夏の思い出」に参加します。

 

ただただ暑いばかりの夏でした。夏の暑さを気にすることもなく海遊びをしていたのも、60代になって最初の数年ぐらいでした。

いい歳してよく夏の海で遊んでいられるな。なんて言われたけど、楽しいんだからしょうがない。

 

今にして思えば、最後のウィンドサーフィン乗りは2017年6月でした。これが私にとって最後のウィンドサーフィンとの写真です。

海水浴シーズンを控え海の家が建ち始めたころのことです。海すいているでしょ。このころは平日に出かけていたので、こんな感じでずっと楽しめると思っていたのですが、この日が永遠の別れだったとは。

当時のブログを読むと、このころから体のだるさが出ていたようです。自律神経失調症なんて考えもしませんでした。

 

冬でも練習に通っていました。それくらい面白いんです。

1年中練習に通っていたのでウィンドサーフィン、イコール、夏という印象はないのですが、初めてウィンドサーフィンを習いにスクールに入ったのは、今から26年前の1998年8月の夏でした。26年前の夏が原点です。

インターネットでどうやって習ったらいいのかを検索して、逗子のウィンドサーフィンスクールを見つけました。

 

そもそも、なんでウィンドサーフィンを習おうと思い立ったのかは覚えていません。なんか運動したいなと考えていて、すぐにウィンドサーフィンを思いついたのです。

太陽の下で遊びたい気持ちが強かったのです。実は、私は中学3年から数年間肺結核で療養して、運動はおろか外の紫外線に当たることも禁止されていました。

外で遊んでもいいとお許しが出たのは高校生の後半です。そういう時期があったので、太陽の下で遊ぶことへの思いが強かったんでしょう。

 

若いわけでもなく、運動神経が優れているわけでなくても、習い始めて最初の内はインストラクターにつきっきりで習うので楽しく過ごしていました。

自分のボートを買って自分の力でやることが増えてから苦労の連続でした。何度止めたいと思ったことか。辛くて海の上で涙を流していたかもしれない。すぐに海水で顔を洗って思い直しました。

当時の様子は自作のホームページに綴ってあります。当時から落書きをしてホームページに張り付けていました。

初めてのスクールの授業。ウエットスーツを借りて着用したのですが、チャックを前にしめて苦労したことも思い出です。

 

初めてのマイボードはF2のオールラウンドボードでした。

すぐにJPのショートボードに買い替えました。少しずつステップアップしていきました。

 

あれから続けて20年以上やってこられるとは考えもしなかった。海で遊ぶ楽しさを、子供のころ泥だらけになって遊んだのと同じだよと、人に進めるようになっていました。

今ではすべてが思い出になってしまったけど。26年前の夏を始まりにした大切な思い出です。

 

海に行くのが別の意味で辛く感じたこともあります。2011年の大地震の後。しばらく海に行けませんでした。気持ちが落ちついてから逗子の海に出かけました。

駅から海岸へ向かう途中のコンビニでワンカップを買って、海に出る前に手を合わせました。

 

もうボードに乗って沖に出るなど怖くてできません。ウィンドサーフィンにも乗る気はありません。にもかかわらず艇庫の契約をいまだに継続しています。

ウィンドサーフィンは無理でも、SUPならいけるんじゃないかと希望を持ちながらも、今の体調ではとても無理です。

 

どうしても辞める決心がつきませんでしたが、次に進むために決心することにしました。ずっと続いてきた夏の思い出も26年目の夏で終わらせて、来年は次の夏を始める決心をしました。