木曜日は早朝掃除の日。
朝4時半起床で会社には7時過ぎに到着。
短パンTシャツに着替えてタオルを額にぐるりと巻いて
汗がしたたり落ちるのを防ぐ。
何しろ汗っかきなもんで。
割れ窓理論の実践で狭い範囲から徹底して綺麗にして
徐々に範囲を拡げていく作戦で掃除を始めたが、
他の人の掃除あとがどうも気に入らない。
ボクの目からは掃除したのかよと見えてしまう。
割れ窓理論云々勘ぬんではなく、どうやら掃除をする目的が違うようだ。
他の人たちは掃除をすることが目的になっているのに対して、
ボクは綺麗にすることが目的で掃除はそのための手段と捉えている。
この差って結構大きく出てくる。
掃除することが目的だと少しぐらいのゴミはまあいいでしょう
と見ぬふりで済ませてしまう。
なにしろ掃除という目的は果たしているのだから
多少のゴミが残るのは許してしまうのだ。
綺麗にすることを目的とすればわずかなゴミも許されない。
それどころかはき後を綺麗につけて見栄え良くしなければ気が済まない。
目的と手段のはき違えみたいな話って
マネジメントの本なんかでも良く出てくるけど、
身近な例として掃除の結果を想像しただけでも
はき違えがどんな顛末を迎えるのか分かろうというものだ。