走って、走って、ときどき海遊び

ラスコです。人生3分の2を終え残りは、ジョギングで走って、ロードバイクで走って、ときどき釣りとウインドサーフィン.....

時間をさかのぼって見て奇跡だなんてバカげてる

NHKスペシャルで放送された「日本列島奇跡の大自然」面白かったけど一個気になることがある。日本の森や生物がいくつもの偶然の産物のような言い方だ。これは時間をさかのぼって見ると奇跡に見えるだけで、実際には奇跡でも何でもなくその場の条件の中でたんたんと時間が推移してきて生み出されただけだ。
時間の流れを逆に見て偶然を強調するのはバカげたものの見方だ。なぜなら時間が逆行することはないのだから。

時間の流れを逆にたどる見方がバカげているのは例えば、ビデオ映像を巻き戻して後ろ向きに歩く人が誰にもぶつからないことを奇跡だと言っているようなの。逆戻りすることのない時間を巻き戻しながら見て何の意味があるのか。
以前にこんな事を書いてある本を読んだことがある。動物の目の仕組みが自然淘汰と適者生存の進化論で説明するには、あまりに複雑な仕組みで偶然の産物とは考えられない、あらかじめ設計図でもあったかのように出来るべくして出来たのだと主張する一派がいる。
何をバカなことを。時間を逆送りにして見るから不思議に見えるだけ。進化論を否定して神の存在を主張したいだけのようにしか見えない。
もっと例を挙げれば、水を細いジョウロの先から出してそれを逆に戻そうとしてもほとんど不可能だ。だからといってジョウロから出た水は奇跡の産物だとでも言うのか。


くどいけどもう一つ例を挙げよう。時間を逆行する見方がばかげているのは、今この世に生きている人をさかのぼれば必ず最初の生命体にまで行き着く。行き着かないなんて人はだれもいない。病気で亡くなることもなく幼く命を落とすこともなく子孫を残した結果。途中のどんな些細な連鎖も途切れることは決してない。途切れたら自分は存在しないのだから。
今の自分という存在は宇宙の歴史で生命が誕生してから決して途切れることのない連鎖の最終段階にいることになる。とても大それた何万もの偶然の産物のように見えてしまうけど。そんなのは奇跡でも何でもない。
今自分がここに存在することがいくつもの奇跡に見えるのは、時間を逆にたどるから勘違いして見えるだけだ。太古から時間が順番に流れてて推移してきただけ、その結果自分がいまここに居るだけだ。途中で途切れれば不思議に感じている今の自分も存在しないだけのことだ。


くどくど書いてしまったけど、時間を逆に眺めて奇跡だなんて叫ぶのはバカげているって事だ。けっこうそうゆう例ってあるので気をつけてみた方がイイだろう。