走って、走って、ときどき海遊び

ラスコです。人生3分の2を終え残りは、ジョギングで走って、自転車で走って、ときどき釣りとウインドサーフィン.....

火曜日:純文学の臭いとは

暑さにやられたのか、ここ数日疲れ気味です。そのせいでいつもより早めに寝ちゃってるんだけど、腰の具合はいいようだ。先週土曜日にウインドサーフィン行ったのがよかったんだろう。腰の疲れが取れている。

土曜日に帰ってきた時は筋肉痛もあって腰の張りがあったのが、ここ数日すっきりしたもんだ。セールアップで背筋使うのがいいんだろう。夏の暑いのはかなわないけど、こまめに通うようにしたい。

 

又吉氏の「火花」読み終わりました。小説を読むのは数年ぶりだったけど、ちょっと難しかったな。何百万部も売れているようだけど、同じ感想持った人多かったんじゃないかな。あるいは最後まで読めなかった人も多かったかも。

漫才家の又吉氏が描いた小説、芸人を題材にしていること、といったことからもっと軽快でペーソスの効いた物語を想像して読み始めた人も多いと思う。実際にそういう小説だと芥川賞は取れないんだろうけど。

表現の文章なんか始めて出くわすような漢字や言い回しがあったり、とっつきにくく感じる部分もあった。自分でも途中から読み方を意識して変えて、文章を追わないで登場人物の関係を空で描きながら読むようにした。

何回も読まないと分からないかもしれないな。芥川賞をとるような小説ってのは、こんなもんなのかと思いながら読み終わりました。

 

和田あき子さんがこの小説について、「純文学の匂いがする」とか「文章に純文学を感じた」という解説もあるが、自分は何も感じなかった、と発言したことが批判されているようだが、ボクは和田氏のいうことに納得できる。

ボクも和田氏と同じように、太宰治など学生の頃は本好きで小説をよく読んできたが、そもそも純文学の定義がよくわからない。

初めてお目にかかる感じや表現があるところが純文学なんだろうか。主人公や脇役が酒に溺れているところが純文学なんだろうか。純文学と言われるような本はたくさん読んできたから、何となくわかるような気もするが、人に説明するほどこなれていない。

殆どの人がそうなんじゃないのかな。だから「純文学の匂いがする」という表現に、これが小説に対する評価になるのか疑問を感じないでもない。

物語にしても感動的で思わず涙が出てしまうという大衆小説的ではないし、淡々と進行していく感じで、ちょっとあっけなく終わってしまうかな。ここのところがすごく面白かったという山場も感じないし、お前は読み取るセンスが無いんだよと言われてしまえばそれまでだけど。

和田氏が番組で話した時に勝俣氏が「もっといろいろな本をたくさん読んだほうがイイ」といっていたが、コレもすごく納得する意見だ。

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今回の火花騒動で又吉氏や読書芸人が推薦する本をたくさん買った。
夏休みも近いことだし、じっくり読んでみるかな。
それはそれで楽しい夏休みの思い出だ。