ゲームを TVゲーム、ボードゲーム といったくくりじゃなくて、人、機械、コンピュータと対戦して勝ち負けのある遊びという風に捉えてみた。
勝ち負けのある遊びと言ったら
小学生時代に一番燃えてたのは三角ベースの野球だ。
決して裕福なわけでもなかったけど
ボクも2つ下の弟も革製のグローブは持っていた。
サッカーなんてやるやつはいない。
王、長島全盛の時代で何が何でも野球だ。
近所の狭い路地、土管のフタがホームで電柱が一塁、
二塁はベニヤ板のクズ。
二塁だけ板きれなのはホームと一塁は常に固定していたけど
ちょうど二塁の位置にあたる物がなかったので
移動できる板きれになった。
よくもまあこんな狭いところでバット振り回していたもんだ
っていうくらい狭い路地。
クルマ2台がやっとすれ違えるくらいの狭さ。
打ったボールがファウの位置で塀を跳び越えていったら即アウトなんてルール。
ボール取りに行くのが面倒だし最悪なくなってしまう事だってあるからだ。
遊ぶ中に幼い子や女の子がいるときは、
グローブもバットも使わないゴロ野球に即変更だ。
子供は遊びの天才だから大人が口出ししなくたって、
みんなが公平に遊べる方法を考える。
みんなでうまく遊ぶためにガマンだってする。
泣いてる子がいたら上級生が慰めてくれる。
勝ち負けにこだわるゲームだからムキになって言い争いもあるけど、
最後には最上級生が大人の裁定をしてみんなが従う。
ゲームを通じて世の中の仕組みを習っていたようなもんだ。
ゲームが子供を鍛えてくれた。